19世紀  [弦楽器]
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【19世紀ハンガリー最高の名匠】Samuel Nemessanyi 1879 サミュエル・ネメシャーニー

バイオリンJP
サミュエル・ネメシャーニーの経歴・生涯 サミュエル・ネメシャーニー(1837–1881)は19世紀ハンガリーを代表する弦楽器製作家であり、「ハンガリーのストラディバリウス」と称されることもあります。現在のスロバキアにあたるリプトセントミクローシュ近郊の小村に靴職人の息子として生まれ、幼少期はガラス吹き工になることを勧められましたが木工に興味を示しました。18歳でブダペスト(当時はペスト市)に出て家具職人の徒弟修業を始めたところ、運よくドイツ人製作家ヨハン・バプティスト・シュバイツァーの工房近くで働く機会を得ます。ネメシャーニーはシュバイツァーの助手トーマス・ザッハに才能を認められ、1855年より彼らのもとでバイオリン製作を学びました。通常4年かかる修業を3年で修了すると、1858年に師の勧めでプラハに赴き、シュバイツァー門下のアントン・シットの工房で働きます。ここでストラディバリやグァルネリなどイタリア名器を直接修理・観察する経験を積み、1年後の1859年末に22歳でハンガリーへ戻り一人前の製作家となりました。 帰国後、ネメシャーニーはセゲドで最初の妻と結婚し(1861年)、その後ペーチなど各地に移り住んで製作を続けました。1863年にペスト楽器製作者組合から親方資格を受け、ペスト市内の工房を継承して活動を本格化します。やがて注文が殺到し、グラナート通り4番地に工房を構えて多忙な日々を送りました。彼は生涯で二度結婚し子だくさんでしたが、家庭生活や経済面では波乱も多く、アルコールにも溺れがちだったようです。しかしその卓越した技量は当時から高く評価され、ハンガリー全土で最高の製作家と認められていました。1881年、僅か44歳で卒中により早世しますが、その短い生涯と酒に溺れ40代で世を去った点は、しばしば18世紀イタリアの名工グァルネリ・デル・ジェズォ(ジュゼッペ・グァルネリ)と重ね合わされています 製作の特徴 ネメシャーニーはハンガリー製作学校史上もっとも才能ある工匠とされ、総計わずか60〜70挺ほどのバイオリンと数挺のビオラ(4〜5挺)、チェロ(7挺程度)を製作したに過ぎません。それでも彼の作品は卓越した品質で知られ、同時代の名工ストラディバリやグァルネリの作品と比肩しうるとの評価を受けています。実際、ネメシャーニーの最良のバイオリンは見た目がイタリア名器と見分けがつかないほど精巧に作られており、その音色・演奏性も対応する名器に匹敵するとされています。弦ごとの音量・音色のバランスが素晴らしく、力強さと輝かしさを備えた音は華麗な独奏にも完全に応えるもので、「各弦に弱点がなく、輝かしく力強い音が存分に解放される」と評されています。また「豊かな深みと強大な音量を併せ持ち、ピアニッシモからフォルティッシモまで品質を損なわず表現できる」とも指摘されています。このようにプロの演奏家にとって申し分ない性能を持つことから、ネメシャーニーの楽器はしばしば本物のイタリア名器と誤認され、市場で流通しました。 ネメシャーニーは主にストラディバリとグァルネリ・デル・ジェズを手本にしたバイオリンを製作しました。特にデル・ジェズを好んで製作し、一部の楽器は未署名・未ラベルのまま市場に出たため、当時すでに「真作のデル・ジェズ」として流通してしまった例もあったほどです。その一方、自身の名で売られた作品にも贋作が多数出回り、ネメシャーニー自身がさらにコピーされるというややこしい状況も生まれました。現存するオリジナルのネメシャーニー作品は希少で、その正確な数は多くないと考えられます。 製作技術の面では、ネメシャーニーは材料選択の巧みさと工作精度の高さで知られます。板材には美しく虎杢の入ったメイプル(一枚板の裏板を用いることもありました)や、年輪の詰まったスプルース(松)を厳選して使用し、材の持つ音響特性に応じて厚みを調整しました。最高の材を使った場合、ブリッジ下で板厚わずか2.2ミリメートルまで薄く仕上げても十分な強度と音響を両立させています。ニス(ヴァーニッシュ)は透明感のある効果的な仕上げで、色調は琥珀がかった黄褐色から赤褐色を帯びる傾向があります。例えば1879年製のある作品では、明るい琥珀色のニスが施され光沢が美しく、非常に軽量で取り回しの良い楽器でした。ネックとスクロール(渦巻き)は交換されたものでしたが木工技術は優れており、一見して欠陥のない出来栄えだったと報告されています。ネメシャーニーのf字孔(エフホール)は細部まで美しく彫られており、全体の造作も個性的で丹念な手仕事の跡がうかがえます。ただし彼の製作水準にはムラもあり、気分や境遇が作品に反映されたと言われます。顧客とのトラブルや鬱屈した時期には質の劣る作品を残す一方、調子の良い時には周囲と断絶して数週間で驚くべき名器を作り上げたと伝えられています。修復技術にも優れ、工房では古い楽器の修理・改造も数多く手掛けました ラベルと真贋 ネメシャーニーの楽器は、そのラベルにも興味深い特徴があります。初期の頃(1860年代前半)には手書きのラベルも使われましたが、1863年以降は印刷された紙ラベルを用いるようになりました。1871年には活字を大きくした新しい印刷ラベルを発注しましたが、そこで誤ってラテン語の名前が「Samueli」と末尾に i が付いた形で印刷されてしまったことが記録されています。ネメシャーニーはこの余分な‘i’を自ら抹消して使うこともありましたが、そのまま残した例もあったようです。 1879年製のグァルネリモデルのバイオリンにはラテン語で次のように記されています。 “Samuel Nemessányi fecit ad formam Joseph Guarnerii pestini anno 1879” これは日本語に訳すと「サミュエル・ネメシャーニーが1879年にペストにおいて、ジュゼフ・グァルネリのモデルに倣って製作した」という意味です。ラベルには製作者名、製作地(ラテン語で pestini は「ペストにて」の意)、製作年、そしてオリジナルのモデル(この場合グァルネリ)までが明示されています。オリジナルのラベル紙は19世紀当時の風合いを帯びており、経年で色が飴色や茶色に変色しています。活字書体は古典的なセリフ体で、上記ラテン語ラベルでは印刷所由来の装飾的な字体が用いられています。 鑑定書はありません。真贋の保証はできません。 著名な演奏家による使用と評価 ネメシャーニーの楽器は、その高い品質ゆえに一流の演奏家に愛用された可能性があります。19世紀の名ヴァイオリニスト、ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストは、生前に「ジュゼッペ・グァルネリ作、クレモナ製17_年」というラベルが貼られたバイオリンを所有していましたが、後に調査の結果この楽器は実は1860年頃にネメシャーニーが製作したものであったことが判明しています。当時エルンスト自身もそれをグァルネリの真作と思い込んでいたほど、ネメシャーニーのコピーは巧妙であったわけです。こうした逸話からも、ネメシャーニーの楽器が優れた演奏家たちに使用され、その音がステージで鳴り響いていた可能性がうかがえます。また、ハンガリーの著名なヴァイオリニストで教育者でもあったイェネー・フバイは直接ネメシャーニーの楽器を所有した記録はありませんが、彼の門弟であるハラース・アンナが所蔵していた1865年製ネメシャーニーを通じてその音色を知っていたとされています。 製作者としてのネメシャーニーの名声も高く、彼は同時代と後世の弦楽器職人に多大な影響を与えました。1870年前後には自ら弟子を取り、カール・ヘルマン・フォイクト(1850–1925)やベーラ・セペッシ(1856–1926)といった人材を育てています。彼ら弟子筋はさらに次の世代へと技術を伝え、エデュアルド・バルテク、パウル・ピラー、デゾー・バラーニ、ヤーノシュ・シュピーゲル、ミハイ・レメーニーら名工を輩出しました。ネメシャーニー自身の作品数は少ないものの、ハンガリー製作学校の礎としてその遺産は脈々と受け継がれており、彼の名は製作史に燦然と輝いています。著名な製作辞典であるヘンリー著『Universal Dictionary of Violin and Bow Makers』や、ペーテル・ベネデクの著書『Hungarian Violin Makers』(1997年)などにも詳しく紹介されており、国際的にも「19世紀ハンガリー最高の名匠」として認知されています。コピーの名手としても、19世紀英仏の名工ジョン・ロットやヴュイヤーム、20世紀初頭のヴォラー兄弟らと並び称されます。 市場での取引と現在の価値 ネメシャーニーの楽器は非常に希少で、そのため骨董的価値・市場価値も高い水準にあります。オリジナルの現存数が少ないうえ、一部は「ストラディバリウス」や「グァルネリ」と信じられたまま伝来してしまったケースもあり、市場に出回る機会が限られるためです。2000年にはネメシャーニーのバイオリンがサザビーズのオークションに出品され、36,000ドルで落札されるという当時の最高記録を樹立しました。しかしその後、真作の入手困難さに比例して評価は一層上昇し、現在ではフランスの名工J.B.ヴィヨームに匹敵する価格帯に達するとも言われます。実際、米国のある弦楽器ディーラーは1875年製ネメシャーニーのオリジナル・バイオリンを120,000ドル(約1千800万円相当)で販売リストに掲載していました。 オークション履歴を見ると、2000年代以降に公に売買された例はごくわずかです。そのため正確な市場相場を断定するのは難しいものの、コレクターや演奏家の間では垂涎の的であり、仮に完全オリジナルで保存状態の良いネメシャーニーが市場に出れば数十万ドルを下らないと予想されます。博物館所蔵については、ハンガリー国立博物館音楽史部門などが一時的に展示のため借用するケースはあったものの、恒久所蔵品として保有しているとの公表例は確認されていません。多くは著名な弦楽器商や演奏家の個人コレクションとして秘蔵されているようです。ただし前述のようにカナダ在住のレメーニー家(元はブダペストの名門楽器商)が数挺を保有しており、研究目的で公開されることがあります。 ネメシャーニーの作品は、カタログ上もしばしば「ハンガリー製作学校最高峰」として特筆されます。例えばロンドンやニューヨークのオークション目録、楽器店のコレクション解説でも、その伝記と作品解説が丁寧に記されています。彼の楽器は歴史的・文化的価値も大きく、ハンガリーでは国の誇りとされる存在です。21世紀に入っても、2022年にブダペストで開催されたネメシャーニー競技会(製作家コンクール)では彼の1865年製バイオリン(ハラース=フィッシャー)を模範楽器として使用するなど、その遺産の顕彰が続けられています。総じてサミュエル・ネメシャーニーは、作品数こそ少ないながらも品質と伝説性によってアンティーク・ヴァイオリン界で特別な地位を占めており、その1879年製バイオリンもまた歴史と価値を備えた希少な逸品と言えるでしょう。ウィーンの老舗楽器店を経営するロバートから取り寄せたバイオリンです。鑑定書はありませんので、真贋の証明はできません。ラベルドということでご理解お願いします。全額預け入れていただきましたら試奏OKですので、お気軽にお試しくださいませ。 990,000円

【ジャーマン・コピー】Strnad Casper 1872 プラハ カスパル・ストルナド  チェコ製作家の19世紀後半ラベル模倣

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Strnad Casper 1872 プラハ ジャーマン・コピー ラベル: Strnad Casper N. 32 Praage 1872 「Strnad Casper 1872」と記載されたヴァイオリンの分析 楽器の様式・ニス・仕上げについて この楽器は外観的には古風な構造でストラディバリ型を踏襲しているように見えますが、いくつかの点から本物ではない可能性が高いと考えられます。 年号1872:ストルナド本人は1823年に亡くなっているため、1872年の製作であること自体が矛盾しています。 F字孔:ストルナドの特徴である小さく整ったF字孔に比べ、やや粗く、輪郭が不揃い。 ニス:色調は赤茶系だが、透明感が少なく、オイルニス特有の輝きに欠けている。工場製のアルコールニスである可能性。 スクロール:比較的シンプルで彫りが浅く、黒い縁取り(パリ装飾)はドイツ・ボヘミア系の工場製楽器に多く見られる手法。 材質:表板はスプルース、裏板と側板はメイプルで構成されており、標準的な材料。裏板は一枚板。 結論として、この楽器は19世紀後半の工場製コピーである可能性が高いと判断されます。特に、マルクノイキルヘンやシェーンバッハなどで多く製作された商業用の模倣品であると推察されます。 ラベルの真偽 ラベルは「Strnad Casper Praage 1872」と記載されています。 言語:オリジナルのラベルでは通常ラテン語(例:「Caspar Strnad fecit Pragae, anno ...」)またはドイツ語が使用されていましたが、これはチェコ語表記。 文字配列:名前の順序も不自然(通常は「Caspar Strnad」)。 書体と印刷:字体も、18世紀末~19世紀初頭の手書き・銅版印刷とは異なります。 類似事例:同様のラベル(1791年バージョン)について、専門家によると典型的なマルクノイキルヘン製のコピーであるとされており、これに類する可能性が非常に高いです。 したがって、このラベルは真作ではなく、模倣または偽造されたものである可能性が高いと考えられます。 名前の混同の可能性について 「Strnad Casper」という名前について、類似の名前との混同が発生する可能性がありますが、文献上、他にこの名前の職人は確認されていません。「Jan Baptista Strnad」という名前が登場することがありますが、これは誤解に基づくものであり、実際にはストルナドの弟子である「Jan Baptista Dvořák(ヤン・バプティスタ・ドヴォジャーク)」を指している場合が多いです。したがって、1872年という年号でこの名前が記された場合、それはストルナド本人とは関係のない偽造ラベルであると結論づけられます。 カスパル・ストルナド(Caspar Strnad) - チェコのヴァイオリン製作家(1752-1823) カスパル(カスパー)・ストルナド(Kaspar Strnad)は1752年にプラハで生まれ、18世紀末から19世紀初頭にかけて最も著名なプラハの弦楽器職人の一人となりました。彼はプラハのトマーシュ・グリンスキー(Tomáš Hulinzky)の弟子であり、1781年頃に自身の工房を設立しました。1791年にはプラハの市民権を獲得し、新市街(現在のユングマン広場)に居を構えました。1787年9月13日、彼はマルガレータ・チャリパルと結婚し、1811年から1823年までプラハの製作ギルドの長を務めると同時に、弦楽器の公認鑑定人としても活動しました。1823年に死去し、プラハのヴァイオリン製作の発展に大きな足跡を残しました。 職人としてのストルナドは、当時プラハで主流だったドイツ・オーストリア系の高アーチ構造(シュタイナー型)から脱却し、イタリアのクラシックモデルへと移行した最初の職人の一人でした。リュートゲンドルフによると、彼はプラハで最初にシュタイナー型を捨て、ストラディバリ様式を採用した職人でした。ストルナドは通常、ストラディバリの大型モデルを使用しており、ボディサイズは標準よりやや大きめで、広い輪郭を持っています。オリジナルの楽器の表板は低アーチで、厚みのある構造が特徴です。部品や仕上げの質も非常に高く、F字孔は小さく丁寧に切られ、やや低めの位置に配置されており、カルロ・ベルゴンツィの作風に似ています。コーナーやエッジも“フルサイズ”で作られており、繊細さよりも力強さが感じられます。スクロールはやや細長く、シュタイナー型の影響が若干残っていますが、全体としてはクレモナ様式を取り入れた構造です。そのため、彼は当時のプラハのヴァイオリン製作に革新をもたらした職人と見なされています。 彼はヴァイオリンだけでなく、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ギターも製作していました。使用された材料は非常に良質で、表板には共鳴性の高いスプルース(トウヒ)が、ボディには美しい杢のあるメイプル(カエデ)が使用されています。特に仕上げのニスは「美しい赤い油性ニス」として現代の専門家たちからも高く評価されています。赤、黄色がかった栗色など、時期によって色調には変化があります。音色は「豊かで高貴(grosser, edler Ton)」と称され、力強さと上品さを兼ね備えた音響が特徴です。 製作家名鑑での記載 カスパル・ストルナドの名前は、主要なヴァイオリン製作家の名鑑すべてに記載されています。ヤロヴェツの『弦楽器職人事典』、ヘンリーの『ユニバーサル辞典』、リュートゲンドルフの『ヴァイオリン製作家大事典』などに詳細な記述があります。 ウィリアム・ヘンリー:ストルナドの技術とストラディバリ様式の早期導入を高く評価。 ヤン・ツェツィル・シュタイナー:1752年生まれでグリンスキーの弟子であること、ギターも手掛けていたことなどを紹介。 ヴィリバルト・リュートゲンドルフ:彼の洗礼記録、結婚、プラハ市民権の取得、ギルドの長としての活動など詳細に紹介。楽器の特徴(大きめのサイズ、平たいアーチ、厚みのある構造、赤いニス、小さなF字孔)についても言及しています。 彼の楽器には通し番号付きのラベルが使用されることがあり、いくつかの変形も存在していました。彼のヴァイオリンは現代でも中央ヨーロッパを中心に数多く残されており、高い評価を受けています。 コンテスト・評価・記念楽器 ストルナドが活動していた時代には、現代のような国際的な楽器コンテストは存在しておらず、出品や受賞歴に関する記録はありません。しかし、彼がプラハのギルドの長を長年務め、公認鑑定人であったことから、同時代人からの評価が非常に高かったことは明らかです。 彼の楽器はすでに生前から高く評価され、現在でもプロ奏者やコレクターに重宝されています。たとえば、チェコのブルモフ修道院教会には1791年製のヴァイオリンが所蔵されています。台湾のチメイ博物館には1820年製の楽器が所蔵されており、彼の楽器が国際的に広がっていることが分かります。 模倣・偽造ラベルのジャーマンコピーとはいえ、楽器自体はかなり古いもの(1870-1920年頃のマルクノイキルヒェン製)と推察されます。ウィーンの老舗楽器店を経営するロバートから取り寄せたバイオリンです。 ボディサイズ: 360mm Upper: 166mm Middle: 115mm Lower: 208mm この楽器を使って演奏した音源をぜひご視聴くださいませ。左最後の動画をクリックウィーンの老舗楽器店を経営するロバートから取り寄せたバイオリンです。鑑定書はありませんので、真贋の証明はできません。ラベルドということでご理解お願いします。全額預け入れていただきましたら試奏OKですので、お気軽にお試しくださいませ。 550,000円